令和3年5月4日 豊島区めぐり
2021年 05月 04日
メインは江戸六地蔵のひとつ、巣鴨真性寺なのだが、例のごとく欲張って、池袋から流れた弦巻川や護国寺を見て、文京区になるが菊坂のコースを組んだ。
四ツ木橋を渡って、カネボウ(鐘ヶ淵紡績)発祥の地鐘ヶ淵に進む。東武線を渡り、都営白髭アパートが門構えのように建っている。そり下をくぐり、水神大橋で隅田川を渡る。この辺りは白鬚西地区市街地再開発事業によって整備された地域で、汐入公園を抜け、けやき通り、ドナウ通りを進み南千住駅に出る。南千住仲通りからJR常磐線沿いの小道を走る。三ノ輪橋の都電駅入口の写真館がいい感じ。
大関横丁で明治通りを渡る。常磐線ガードの壁に落書き防止用に絵が描かれている。
三河島駅を過ぎるとJR線が分岐する。常磐線はぐるっと回って日暮里駅に向かう。一方は田端操車場へ行くのは常磐貨物線の線路。
西日暮里駅前に出た。坂を上る。赤羽に行ったときの西日暮里公園からの歩道橋の高低差を思って急坂かなと思っていたが、ゆるい上りであった。谷田川通りを走るつもりが、もっと手前の道に右折した。目の前に高い橋がある。ここはどこ状態。田端駅近くの童橋だった。側道を上がったら赤羽に行くとき走った、田端高台通りに出た。道灌山トンネル跡でJR山手線沿いに走る。
山手線唯一の踏切第2中里踏切や谷田川通りのガードを過ぎた。随分迂回したものだ。
駒込、巣鴨へと山手線沿いに走る。
巣鴨はとげぬき地蔵へ行く人で混んでいる。地蔵通り商店街の入口を左折すると、すぐ真性寺だ。旧中山道入口に立つ六地蔵を撮影。他に見るべきものはない。
大塚駅前の都電沿いのバラが満開だ。都電沿いに向原へと坂を上がった。都電とバラの構図を狙った写真を写す人が多い。自分も都電を待って真似をした。
西口公園にある東京芸術劇場を見て、ホテルメトロポリタンに面する元池袋史跡公園へ。
昔、弦巻川の源と丸池があり、池袋の名の発祥の地である。
池袋ビックリガード手前の信号を渡って、上屋敷通りをゆるく下る。弦巻川が流れていたなと実感する。西武池袋線とJR山手線が交差する地点の歩道橋を渡って、エレベーターで地上に降りる。明治通りを渡り、弦巻川は大鳥神社参道に流れていたが、右手に雑司ヶ谷鬼子母神堂の案内があったので寄ってみた。児女を守る善神なので鬼のツノはない。
弦巻通りに入って大鳥神社へ行った。雑司ヶ谷七福神の恵比寿天。雑司ヶ谷なすの説明板がある。神社の前はフェンスに囲まれた都電の線路。あーここかという感じ。
左に毘沙門天のある清立院が見えたので行ってみよう。
石段で女性2人が写真を撮っていた。2人の写真を写したいのでと言われ、スマホシャッターを押してあげたが、保存されないという。もう一人のスマホで写したら、こちらは保存が出来たそうだ。
新緑の紅葉があざやか。毘沙門天はお堂の中に鎮座し、ドアを開けてお参りし、ドアを閉める。
裏手に十一面観音や、がけ地に犬の像がたくさんある墓を見る。
弦巻通りに戻る。道がカーブしている地点で、「東京スリバチ地形散歩」にあったY字の坂・富士見坂と日無坂に行こうと坂を登ったら、公園(雑司ヶ谷公園)に出た。道が違うと思い、公園沿いをくだったら、雑二ストアがあった。ここも本に出ていたところ。「建物の隙間に屋根を掛け渡したショッピングストアで見どころのひとつ」と紹介されていたが、レトロすぎて廃墟寸前。ストアを抜けて弦巻通りに戻る。
もう一度、富士見坂と日無坂にトライ。目白通りに出た。目白方向に進んだら、のぞき坂があった。行き過ぎた。目白通りを反対側に進むと目白台2丁目交差点。その右に富士見坂と日無坂があった。自転車を止めて階段の日無坂を下る。下った後、富士見坂を登るつもりだったが、道が遠いので日無坂を引き返した。スペインの小路のような雰囲気でよかった。
弦巻通りに戻り、昼食としよう。食指が動く店がない。しかたなく鮨義に入った。鯛と平目のごまだれ丼を注文・・いなり寿司と冷奴のお通し。古いお店なので、まあまあな寿司屋かなと思ったが、どっこい美味しかった。
弦巻通りは終わり、首都高池袋線を渡り、護国寺へ行こう。五代将軍徳川綱吉が生母桂昌院のために建立したお寺で、江戸の面影を伝えている。
仁王門から入ったが、関係者以外駐輪禁止だ。お寺の前は交番だから自転車を止める訳にいかない。音羽幼稚園のある惣門に回った。裏手にたくさん駐輪していたので、ここなら安心だ。
惣門も大名屋敷の表門のようで格式が高い。桂昌殿や本坊の前を通り、境内を歩こう。
不老門の階段を登る。六地蔵や護国寺大仏がある。正面の本堂をお参りして、裏手の墓地に回引き返し、鐘楼の横を降りると、一言地蔵(一言だけ願いが叶う)や大師堂がある。
音羽富士なるものがあった。標高7mの富士塚で、山頂に登ると富士浅間神社の祠があった。
妻へのお土産として考えていた東京3大大福の店と言われる群林堂はお休み。引き返して甲月堂で柏餅を買った。こちらも創業1887年と相当の老舗。店内は一組ずつしか入れないが、おばあちゃんが会計するので遅いこと、遅いこと。先客に待たされ、後客を待たせた。
大塚警察署前の交差点を左折、付属横坂を上った。講談社に出向いたときに気になっていた坂だ。付属横坂は、筑波大学付属中学校・高等学校の前を通るのでその名がついた。最近は坂の手前にレストランコクリコがあるので、コクリコ坂と呼んでいるそうだ。下ると教育の森公園。筑波大学東京キャンパスがある。東京教育大学の敷地だが、同大学が筑波大学にとなって、筑波に移転した際に一部が教育の森公園になった。隣接の占春園は斜面と低地を利用した園内は欝蒼と木が生い茂る、静かな雰囲気がただよう。
教育の森公園の隣に、カイザースラウテルン広場がある。文京区とドイツ・カイザースラウス市が姉妹都市となり記念して作られた。同士の彫刻家が創作した架空の生き物彫刻が異。
古めかしい門は何だろう? ネット検索し分かりました。大正二年に作られた門で、実業家磯野敬旧居(通称銅(あかね)御殿との門。
湯立坂を下ると窪町東公園で、占春園の別出口があった。窪町というように低地だ。千川(小石川とも言う)が造った谷だろう。(地名に小石川があり、近くに千川通りがある。)
小石川植物園の総合研究博物館小石川分館(休業中)入口に出た。隣に簸川神社がある。石段を寄進したドン白粉(おしろい)本舗が気になる。ネットではCMを野口雨情が作詞したとある。
小石川植物園の塀沿いの道を走った。長く続く平坦な道。正門を左折すると御殿坂の上り坂で白山上に出る。直進し千川通りを走ったのでずっと平坦。
こんにゃく閻魔の前を通り、菊坂下から菊坂に入る。菊坂下道を走る。かつて川が流れていたところで、今は暗渠となっている。路地に入れば樋口一葉旧居跡などがあるが、以前散歩したので今回は省略。
本郷3丁目、湯島と走って御徒町でJR線を越える。アメ横があるからか、凄い人出。緊急事態宣言で人流を抑えるって難しいだろう。
裏道から、浅草国際通りに抜けた。雷門前は避け、浅草寺裏から今戸神社へ向かった。
縁結びの神様として有名で、招き猫発祥の地である。また沖田総司終焉の地でもある。